
兵庫県神崎郡福崎町にある辻川山公園には、民俗学者・柳田国男の生家があります。
本人曰く、「私の家は日本一小さい家」。
実際にはそれほど小さい家では無いのですが、8人兄弟を含む大家族が暮らすには手狭だったということなんでしょうね。
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柳田国男の生家の様子・家の外側
柳田国男自らが「民俗学の原点」と呼ぶ生家を見に行ってきました。
入口付近はキレイに整備されていて、管理が行き届いていることがわかります。
ご本人の像と石碑。
無料で入ることが出来るんですよ。「誰でもお好きに見ていってね状態」なので、ちょっとビックリ。
大家族で暮らしたため、国男はこの家のことを「日本一小さい家」と呼んでいたそうですが、敷地や建物自体が狭いという印象はありません。
もっと小さな家はいくらでもあったんでしょうけど、自分だけのスペースが無かったという意味も含めた比喩でこんな表現をしていたんでしょうね。
兵庫県の景観形成重要建造物に指定されています。
正面の庭から見た家の景観です。
国文学者で歌人の兄・井上通泰(松岡泰蔵)や海軍大佐で言語学者の弟・松岡静雄、日本画家の弟・松岡輝夫(松岡映丘)らの優秀な兄弟たちがここで育ったんですね。
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柳田国男の生家の様子・屋内
家の中の様子です。
家の裏側(北側)はこんな感じ。
「ひょうご住宅百選」にも選ばれているようです。
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周辺の施設
お隣には「福崎郡歴史民俗資料館」がありました。すごく雰囲気のある洋館ですよね。
「組み合わせ式家形石棺」というものも展示されていました。
鈴の森神社
資料館の逆サイドには鈴の森神社。学問と安産の神様だそうです。國男ら兄弟もこの境内でよく遊んだんだとか。
ヤマモモの大きな木が生えているんですけど、ヤマモモが地面に落ちて腐っているせいか、ギンナンのような臭いがあたりに漂っていて、お参りどころじゃなかったです(゜_゜)
このあたりをグルっと囲むように「学問成就の道」があります。
案内看板を見ると、かなりわかりやすいです。ちょっとした散歩にもいいかもしれません。
まとめ
柳田国男の生家がある場所は、本当に静かで都会の喧騒とは無縁です。
当時は周辺は田畑が一面に広がる農村地帯だったそうですが、この場所で育った國男がどういったことを考え民俗学者への道を進んだのか、非常に興味深いですね。
東京帝国大学法科大学政治科を卒業したあと農商務省に入ったことも、ルーツと深く関係しているよな気がします。
それにしても、当時から150年近くたっても、こうして生家が現存しているのはすごいことですね。
古い日本家屋の保全には、かなりコストがかかると思いますし、文化的に価値のある建造物を残すのも大変なことでしょう。
柳田國男・松岡家顕彰会記念館が町立ということなので、生家も同じように福崎町が管理しているんでしょうね。
大きなお世話ですが、予算的に厳しいのでは?と思ってしまいます。県や国がサポートしてくれてれば良いんですけどね。
10年後も20年後も、柳田国男に興味を持った人たちが気軽に訪れることが出来るよう、行政には頑張って欲しいものです。
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